喪失感は幸せだったことのあかし

こんにちわ!
札幌の心理セラピスト大咲けいこです。

札幌はまた寒くなりましたね…。
このままポカポカ陽気になるかなーと思ったのですが、
甘かったですねー。

でも確実に日差しは強くなってきているので、
春は間近だと期待して日々を過ごしています。

ただ春になったら花粉の季節ですよね。
本州では絶賛飛散中かと思います。
私はスギ花粉は大丈夫なのですが、
北海道特有のシラカバ花粉には敏感に反応します。

目は痒いしくしゃみと鼻水で頭がぼーっとしますが、
それでもやっぱり春は待ち遠しいものです。

さてさて今日は『喪失感』について書いてみたいと思います。

突然ですが、
みなさんはペットを飼ったことがありますか?
私は20代~30代前半までわんこを飼っていました。
以前のブログでも書きましたが、
名前は琴音と言います。

3月8日はちょうどその子の命日でした。

この子は大学の動物実験用わんことして産まれました。
1歳半で里親に出され、
私たち家族が引き取った形になります。

迎え入れる際、不安だったのでしょうね。
ものすごく眉間に皺を寄せていたのを記憶しています。

家に来てからも、
聞いたことのない音や
見たことない車の存在、
特に子供の存在が怖かったようで、
またずっと眉間に皺を寄せていました。

それもあって、私たち家族は
最初は試行錯誤しつつも、
少しずつ環境や人に慣れるよう
寄り添い守り続けました。

今考えると、愛着を育む過程のようでした。

・怖がったら抱っこして安心させてあげる
・帰ってきたときはお留守番してて偉いねって
いっぱい撫でてあげる
・目があったときは微笑みあう
・危険に遭いそうな時は全力で守る

これを続けるうちに、
だんだんと琴音も心を開くようになりました。
家族以外は最後までスーンとしてましたが…

月日を重ねる毎に信頼関係が深まり、
とても愛おしい存在となりました。

でも琴音はいつの間にか、私の年齢を越えていました。

ある日、急に下半身が震え出し、
立てなくなりました。
腎臓病と大腸がんによる転移が認められ、
余命3箇月の宣告をされました。

その時の年齢は15歳6か月。
人間でいうと85歳くらいなので、
いつ何があってもおかしくないと
覚悟はしていたもののショックでした。

少しでも生活の質を良くするために、
放射線治療や点滴を施したところ、
それから2月までは、
本当に病気なの?って思うくらい
元気に過ごしていました。
しかし3月に入ってから、急激に容体が悪化しました。

人間でいう人工透析レベルの腎臓だったので、
とても苦しかったのでしょう。
眠ることもできず、
食べることもできず、
せめて水だけでもと、
なんとか口に入れるようにしました。

家族つきっきりで介護状態です。

愛する者が、
苦しんでいるのに何もしてあげられない不甲斐なさ、
その姿を目をそらさず見続ける辛さ、
いろいろな想いがありましたが、
この子は今を必死に生きていると感じました。

その間、父親に
「どうするんだ!安楽死を真剣に考えたらどうなんだ!!」
と謎に怒鳴られました…。

安楽死の選択権は私に押し付け、
それを選択しないお前はどうかしてるって言われた気がしました。
「なんで私なの!?私が決めるの!?」
と心の中で思いましたが、
当時の私は自分を責めてしまいました。
この話はまた別の機会に…。

そんな父とのやり取りも甲斐なく、
琴音はあっという間に旅立ちました。

もう長くないだろうと、
家族みんなが集まって一日を過ごした
翌日の夜のことでした。
みんなの顔を見てから旅立つなんて、
見事だなって思いました。

火葬し骨となって帰ったきた琴音。

家の中の全て、
ごはんを入れていたお皿、
首輪とリード、
外の散歩コースの景色、
今までのたくさんの写真など、
当たり前ですが琴音以外はいつも通りでした。

ただ、昨日まで存在していた子が
もうこの世にはいないという事実。
会いたくても会えないという事実。

ただただ圧倒的な喪失感でした。

それでも残された側は、
その喪失感を胸に、
また同じような月日を重ねざるを得ない。

東洋経済オンラインにこのような記事がありました。
『「ペットとの別離」をマンガと小説から読み解く』

————–(ここから引用) ————–
誰かを深く愛してしまったとき、
その存在と過ごす時間が永遠であることを私たちはどこかで願うものだ。

でも恐ろしいことに、誰もがいつかは愛するものと別れる運命にある。
別離は当事者の気持ちの変化によってもたらされることもあるが、
そうでなくても避けられはしまい。
なぜなら、私たちの生命は有限だからだ。
「死がふたりを分かつまで」――裏返せば、死はふたりを分かつ。
とすれば、愛するということは、未来の別離を無意識のうちに承諾し、
やがて訪れる悲しみの経験に自らをすすんで差し出すという、
まことに過酷な営みを意味しているのではないか。
————–(引用ここまで) ————–

これはペットに関しての記事ですが、
人間同士でも同じことが言えますよね。

死による別離は、
自分の力ではどうすることもできない、
受け入れざるを得ない出来事。

でも人は、
いつかは訪れるであろう別れの時を知っていても、
人との繋がりを求める。

記事にはこのような言葉もありました。

『残された者の喪失感は、幸福だったことのあかし』

今、あなたの周りにいる大切な存在は、
残念ながら最終的には死による別れが待っています。

幸い人は忘れることができる生き物。
少しずつ少しずつ、その生々しい想いは薄れていくけれども、
完全に忘れることはできません。

でも、そういった経験があるからこそ、
日常が奇跡であること
なんでもない日々が幸せであること
を振り返られるのではないでしょうか。

そして、今、
あなたが生き辛く、
人が怖かったり
信じられなかったり
人を憎んだり
一人ぼっちだったり
ずっと我慢していたり
もうどうしていいかわからない状況かもしれません。

もう傷つきたくない。
何もかもが嫌だ。
それだったら孤独でいた方がましだ。

それくらい苦しい状況であったとしても、
もし心の片隅に、

人を求めたい
大切な存在と繋がりたい
死による計り知れない喪失感を感じるくらい、
人とかかわって大切に生きたい

という想いがあるのであれば、
心理セラピーがお役に立てるかもしれません。



あなたがそこから一歩踏み出し、

自分のことを諦めさえしなければ、
これからの未来は、
より色濃く豊かなものになると思います。

琴音と一緒に過ごした日々は、
本当に輝ける幸せな時間でした。

喪失感がゼロにはなることはないけれど、
今でも私の中に温かい存在としてい続けていますよ

今日は哀悼の意も込めて。


Forever Love❤️

 

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