感情を感じきることの大切さ

こんにちは!
心理セラピストの大咲けいこです。

つい先日新年が明けたと思っていたのですがもう1月も終わりますね。。
早い…本当に早い!

北海道はホワイトアウトが起こりやすい季節です。
どこに向かって走っているのかわからず、
かといって停まれば追突されるので走り続けるしかない。
白い世界に浮いているような感覚になって本当に怖いですよね。

車の運転をされる方は今以上に安全運転を心がけてくださいね。

あぁ…春が待ち遠しい…

さて、今日のテーマは、感情を感じきることの大切さについてです。

私事ですが、昨年、前職でお世話になっていた元上司が亡くなりました。
56歳でした。

お互いに前職とは違う会社にいたのですが、
たまに会って飲みに行ってもあっという間に昔に戻るというか、
くだらない話や下ネタなんかでも盛り上がるようなそんな間柄でした。

かれこれ6年前にガンを患い、ずっと病気と付き合いながら、
それでも仕事も遊びも真剣に人生を謳歌しているような人でした。
本当にパワフルで情に厚くて。
どんどん病が進行しても、周りに心配をかけまいと明るくふるまい、
家族にも弱音はほとんど吐かなかったそうです。

お見舞いに行く約束をして会いに行った時は、
数日で病状が悪化したらしく、お話することができませんでした。

そして訃報を聞いたのは、私がお見舞いに行ったその日の夜でした。

その知らせを聞いた瞬間から、私はひたすら泣きました。
泣いて泣いて泣いて…、過呼吸で手足のしびれはもちろんお腹もしびれるくらい、
わんわんと泣き叫んでいました。

そのうち泣き疲れて、3時くらいにやっと寝られた?くらいの睡眠をとり、
起きたら瞼が腫れあがっていました。

お葬式と翌日の告別式も、会社に半休をいただいて参列し、
またこれでもかっていうくらい泣きました。

特に告別式は本当に悲しいですね。
現世でその人と会う最後のとき。
魂はつながっていると信じているけれど、それでもその人を目にする最後の瞬間。
涙が止まりませんでした。人の死は本当に悲しい。

さて、私がここまで我慢することなく徹底的に泣いていたのには理由があります。
それは、その時の悲しいという感情を感じきらないと、
心残りが心の傷となって後々自分を苦しめることになるのを知っていたからです。
このことは、リトリーブサイコセラピーの学びから知りました。

人は大切な人が亡くなるなどの悲しい出来事があったとき、
その時の感情をしっかりと感じきらずにいると、
それが後悔や罪悪感に変化し、ずっと自分を責め続けることをしてしまいます。

小さい頃から誰かに受け止めてもらったり、
自分が辛い状況になっても受け入れてくれるような経験があると、
しっかり自分の感情を感じ表現することができますが、
例えばあなたの幼少期が、

・どうせ誰も受け取ってくれないのでそもそも感情は出さない
・泣いたら親が困っていたから泣くことをやめた
・親が頼りにならないので自分がしっかりしないとと思っていた。
・「男のくせに!」「お姉ちゃんでしょ!」と役割を言い渡されそれを全うしていた
・周りの大人に感情的な人がいなかった
・感情を表現すると罵倒や虐待を受けた

というような状況だったとしたら、
あなたは自分の感情を感じて表現することができたでしょうか。
そう、できませんよね。

私の先輩セラピストさんである木村貴子さんがブログでこのような記事を書いています。

———————–(以下引用)—————————
幼少期に「安心して感情のまま泣く」という感情の解放を経験していないまま大人になると、

その過去を封印しながら生きてゆくことになるのです。

悲しみや罪悪感や後悔を
抱えながら生きていたら、

自分を責め続け、
誰もひとを信用できなくなります。

そして、時が止まったまま、
生きてゆくことになります。
———————–(引用終わり)———————-
〈喪失という悲しみを超えて(2018.02.12)〉

私は感情は生ものだと思っています。
その時生じた感情を感じきることは消化すること。
そうすることであなたの心の血となり肉となり、これからの自分を作っていく。
感情を感じきらなかったり、無かったことにする行為は消化不良を引き起こします。
それはそこにあり続けるので悪い方向へ発酵していきます。
それがどんどん発酵して膨らんで、今度はそれを必死に隠そうとします。

この隠すという行為は、たくさんの生きるエネルギーを消費します。
生きるエネルギーの大半を隠すことへと使われ続けると、
未来へと進むことが出来なくなります。
そして最終的にはうつなどの症状を引き起こしてしまうかもしれないのです。

***

ここで、私の経験を一つお話しますね。
私には昔、琴音というワンコを家族で飼っていました。
琴音は一番父に懐いていて、父も琴音のことをとても可愛がっていました。

彼女が亡くなった時、父が悲しみを感じないようにする姿を見ました。
「いつか生き物は死ぬんだ」
「寿命なんだから泣いたって仕方ない」
「だから犬は飼いたくなかったんだ」
と、この期に及んでここでそれ言う!?ってことを言っていました。

父は火葬場でも琴音の最後の姿を見ようとはしませんでした。
骨となって帰ってきたら、すぐに彼女のものを片づけ始め、
あっという間に彼女がいた形跡は家庭からなくなりました。

琴音が存在していたという事実を感じるのが怖かったのだと思います。
悲しみが辛すぎて。

その姿を見た私は、父が可哀そうだと、父を悲しませまいと思い、
笑顔を作り心を無にしました。悲しいという感情を感じきらなかったのです。
そうしたら、琴音に対する罪悪感でいっぱいになりました。
私がもっと早く病気に気づいてあげれば、、とか、
苦しみから解放するために安楽死を選択してあげたらよかったのでは、、とか、
この家族にきて琴音は幸せだったんだろうか、、とか。。

***

心理セラピーの中で『喪のワーク』というワークがあります。
これは亡くなった人と対話するワークなのです。

ワークについては、木村貴子さんのブログより↓
———————–(以下引用)—————————
でも、旅立ったひとは不思議と残された人を責めたりしません。

自分の死を引き受けて、
自分がいたい場所にいるようです。

「そんなふうに思わせてしまってごめんね」
「ありがとうね」
「自分を責めないで」

「あなたはあなたの人生で
幸せになっていいんだよ」

、、という答えをくれるんですね。
———————–(引用終わり)———————-

これ、本当にそうなんです。

私は安心できる仲間たちに見守られながらそのワークを通じて、
琴音が旅立ってしまって本当に悲しかったこと、
そして琴音のことが大好きだったことを感じきることができ、
長年持っていた罪悪感を手放すことができました。

また私は、小さい頃から自分の感情を感じることよりも、
親に気を使い親を優先していたんだなという事にも気付くことができました。

このワークをしたからといって、もう大丈夫!悲しくない!って状態にはなりませんよ。
もちろん思い出したときは悲しい気持ちにもなります。
でも、たくさんの楽しい思い出も顧みられるようになりました。
そして罪悪感ではなく、
楽しい・愛おしい感覚で繋がっていることが感じられるようになりました。

この経験があったからこそ、
元上司が亡くなった時は悲しみを感じきることに徹したのです。
今でもホロリとはくるけれど、楽しい思い出や彼の生き方が、
私の人生の糧になっているのがわかります。

あなたには何か心残りになっている感情や傷となって疼いている感情はありませんか?
ただ泣きたいだけでも私たちを頼ってほしいです。
出せない感情があることはとても辛い事だから。

それでは、また。

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